■目 的

 学生の若い発想力や行動力を生かし、阪堺電車沿線地域が持っている文化・歴史・観光などの魅力と資源を発掘・調査し、その地域
内外の人や外国人に紹介していくことによって、自らの地域を再評価し、観光の振興と地域の活性化をはかる。


■ 基本的な考え方

〔新しい観光のトレンド〕

         ・個人から 団体(もしくは少人数)

         ・見学から体験

         ・金銭消費から 時間消費
 

:阪堺電車を地域資源と捉え、その利用促進を意識したルートを設定する

:行政が軽視しがちな 都市・産業観光資源 を重要視する
    →神社仏閣だけが観光資源ではない・・・ 和菓子や刃物などに注目する
     ※阪神間では、ケーキなどのスイーツが観光資源となっている
     ※地場産業である刃物製作は新たな観光トレンドと合致する

: ビジター (他地域からの訪問者)の視点を考慮する
   →ビジターは地域をイメージで判断することが多いので、 シンプルなイメージをもつ
     モデルコースを考える(複雑すぎてはいけない)・・・ 「刃物と和菓子のモデルコース」

: ストーリー性のある ルートにする
   →モデルコースを 1つの旅行 として捉え、食べる・学ぶ・体験する・買うなどの要素を
      盛り込む必要がある
   → 時間的 にも、 空間的 にも、 可能な モデルコースを設定する
   →主人公は誰か・・・大学生の大学生による 大学生のため のモデルコース


■対象地域

阪堺電車沿線地域(堺市旧市街地)

    ※ただし、本モデルコースを 1つの旅行 として捉えているため、起・終点は天王寺駅(大阪市)とする





■堺市の歴史

 堺は、平安時代からその名を文献に見ることができる。当初の堺は商業都市ではなかったが、南北朝の内乱以後から徐々に商港に
発展してゆく。

 室町時代では明(中国)との貿易で日本一の貿易拠点となり、また富商による自治で大いに栄えた。
 
  堺が『東洋のヴェニス』と謳われるのは同じく自治都市として栄えたからである。

  しかし、織豊時代に織田・豊臣氏の直轄地となり、自治を弾圧されたので、堺の全盛期は終わってしまった。

  明治時代は堺県の県庁所在地となり商業が発達したが、明治14年大阪府に併合され、次第に大阪の衛星都市と化していった。
 
  昭和には積極的な都市計画を推し進め、重工業都市化していった。

  太平洋戦争で堺は一帯焼け野原になった。戦後の復興計画は紆余曲折の中で少しずつ進んだが、高度経済成長に伴い公害に悩ま
されるようになり、他方で開発によって多くの文化財が取り壊された。

  現在、堺市は伝統を持つ都市の復興を目指し、文化財保護やまちづくりを進めている。



■ 阪堺電車沿線地域(堺市旧市街地)の歴史と文化

 室町幕府が日明貿易をしていた頃、堺は細川氏により統治され遣明船が発着していた。

 当時、京都は応仁の乱で荒廃していたので、戦から逃げた商人達は平和な堺に移り住み、堺は茶の湯等文化の栄える豊かな町と
なった。

  しかし、細川氏が以前堺を統治していた大内氏と明で争いを起こしたため、明との貿易は衰退した。

  その後も堺商人は諸外国に渡航し貿易を続け、やがて南蛮貿易が始まり、堺は一層栄えた。

  線香・煙草包丁などが堺から生まれた。キリスト教を伝来したフランシスコ・ザビエルは堺商人・日比屋了慶にもてなされ、その跡
地がザビエル公園となっている。

  各地の大名は経済的に豊かな堺を支配下に置こうと争うようになっていたので、堺の豪商は町の周囲を濠で囲み、会合衆を作って
自治を行った。

  だが、織田信長の支配下に置かれ、豊臣秀吉により濠を埋められて自治都市・堺は衰退する。

  さらに大坂の陣により堺の町は全焼してしまう。

  その後、堺は徳川幕府の直轄地となり、新しく碁盤の目状にまちづくりがなされた。

 江戸時代の終わりを告げる大政奉還の際は、治安維持のため堺に駐屯していた土佐藩士がフランス水兵に発砲した責を負って、
妙国寺で切腹したという堺事件が起こっている。

  そして、明治18年にはわが国最初の私鉄である阪堺鉄道が誕生した。
     
(参考文献:別所やそじ・尼見清市 [1994]『むかしの堺』あかね印刷出版)





 昼食を早めにすませて、私たちの「半日で堺 半かじり」の旅は大阪・天王寺から始まります。
 なぜ、このようなタイトルを付けたかというと、堺で1日を過ごすには少し無理があるが、堺の魅力は半日では分からないからである。
  しかし、リピートすることによって、堺の「おもしろさ」はジワジワとボディ・ブローのようにきいてくる。
 私たちが提案するこの歩き方を是非お試し下さい。

  そうすれば、あなたも「堺のとりこ」になるにちがいない!





  全線1日フリ−乗車券「てくてくきっぷ」( 大人 600 円・小児 300 円 )を購入し、まずは阪堺電軌上町線「天王寺駅前」駅から、阪堺
電車に乗って南下します。

  ゆったりと進む車両。その静かな車内では、おしゃべりも弾みます。今日は楽しみ、楽しみ!

  阪堺電車は癒しの空間 (中尾嶺 : 羽衣国際大学)  初めて阪堺電車に乗って率直な感想は「なんだっこれは!」。

  なぜそう感じたかというと阪堺電車に乗る前は時間に追われる現代において『路面電車=遅くてまどろっこしい』という
固定概念が私の中にはあったのです。
 
  そんな考えがあったため、身近な所にあってもなかなか「乗ろう」とは思いませんでした。が、しかし、乗った瞬間そんな
ことは私の頭の辞書からは消えていました。

  のんびりと走る電車、そして独特の揺れ方をする座席。

  現代における忙しさをまったく感じません。逆に言うならばその鈍足ぶりと短い距離で次々変わる車窓風景、阪堺電車
がいい味をかもし出しているのです。

  車両も昭和3年生まれの骨董品から平成生まれの最新型、中には走行機器はそのままで、車体は新しいという変り種
まで、バラエティに富んでいます。

  忙しさに疲れてしまったみなさんに是非、阪堺線に乗って人と人が和気藹々としのんびりと時を過ごせる時代を思い出し
てほしいです。
 
 そして、若者には雑多だらけの中にも、今まで見えていなかったすばらしい風景を発見して、私と同じように「なんだこれ
は!」と感じてほしいです。


■「癒し」は現代における重要なキーワード。
  阪堺電車に揺られながら、ぼぉ〜と「時間を消費」することは忙しい現代において、ちょっとした贅沢ですね。
   (小川雅司 : 羽衣国際大学)





 住吉公園行きの電車に乗ったため、途中の「住吉」駅で上町線から阪堺線に乗り換えをします。

 この「住吉」駅の横には、かの有名な住吉大社があります。少し早く天王寺を出て、住吉大社でお参りするのもいいかもしれませんね。


 古くは摂津国 (せっつのくに:大阪府北西部と兵庫県南東部を占める旧国名) の中でも、由緒が深く、信仰が篤い神社として、「一の宮」という社格がつけられ、人々に親しまれてきました。

  昭和 21年までは官幣大社であり、全国約2300社余の住吉神社の総本宮でもあります。
 
 また、初詣といえば「すみよっさん」。

 大晦日の夜から、どこからともなく人が集まりだし、門前は人々でいっ
ぱいになります。

  1月1日になり、太鼓が打ち鳴らされると、1年の幸を祈願する人でご
ったがえします。
 
  三が日の参拝客数は、毎年 200万人を超え、大阪の人に今でも愛さ
れ続けています。

     ( http://www.sumiyoshitaisha.net/index.shtml)








 「住吉」駅で阪堺線に乗り換え、大和川を越え、いよいよ堺市内に入ってきました。
 
  今日の旅は堺が誇る「刃物」の製作体験と「和菓子」を味わうことが主な目的ですが、体験する前に刃物のことを学び、知っておくほ
うがよいと思い、「妙国寺前」駅すぐにある『堺HAMONOミュージアム』( 堺刃物伝統産業会館 )を訪れました。

 

 今まで見たことのない(!)種類の刃物がたくさん展示してあるほか、刃物製作の実演・体験コーナーなどもあり、また、堺の地場産
品の展示・販売も行なっています。

  この日はたくさんのお客さんでにぎわっていて、なかには小学生が学外研修に来ていました。
  (学外研修には最適なところだと思います。)

 なお、『堺HAMONOミュージアム』は、平成 13年に『第8回堺市景観賞「まちなみに配慮した建築物」部門(一般建築物)』
を受賞しています。
所在地:堺市材木町西 1丁13番

TEL:072-227-1001

開 館:10〜17時

入 館:無料

休 館:火曜(祝日の場合は翌日)

交 通:阪堺線「妙国寺前駅」から徒歩3分
(http://www.sakaihamono.or.jp/main.html)

伝統産業としての刃物 ( 西岡晃子 : 大阪女子大学)

 刃物の中でも刀剣は、対明貿易において主要貿易品の1つだったので、その貿易拠点堺では、刀鍛冶職人が多数住んでいた。

  豊臣秀吉が全国統一を成し遂げると世の中は平和になり、結果として武具の需要は減った。

  刀鍛冶職人らは時代に先駆けて煙草包丁の製作に転向し、その切れ味の鋭いことや、堺商人の全国的なネットワークによって、徳
川時代初期から堺煙草包丁は全国に知れ渡った。
 
  のち元禄時代には料理用包丁を製造し、『堺極』の印が彫られた堺包丁はトップブランドとして長く全国に売られた。

  しかし、明治維新から現代にかけて、外国製品や商品の大量生産化にあおられ堺刃物工業の売り上げは減少の一途である。

 現在は、残った刃物職人らが、伝統的な製造工程と品質で、堺刃物再興に取り組んでいる。

 

そんな界隈の一角に『藤井刃物製作所』はあります。

玄関では、ニホンザルのタクマくんが私たちを迎えてくれました。

さあ、これから世界で1つだけのオリジナルの包丁づくりがはじまります!!


 さて、『堺HAMONOミュージアム』で刃物を学んだ後、再び阪堺電車に乗り、「妙国寺前」駅から「高須神社」駅へ北上します。

  「高須神社」駅周辺は昔ながらの住宅地が残る、落ち着いた雰囲気をもった界隈です。

  堺はかつて、橘屋又三郎が種子島に伝わった鉄砲の製法を堺に伝えてから日本−の鉄砲生産地でしたが、 旧鉄砲鍛冶屋敷は江
戸時代の鉄砲鍛冶屋敷の面影を残す唯一の貴重な建築物です。


  まずは刃物職人・藤井啓市さんが私たちの希望する「かお」を包丁に打ち込んでくれました。

  これは「世界に1つだけの包丁を」という藤井さんのアイデアによるもの。

  そしてつぎに、「荒研ぎ」という作業にはいります。木製の型に包丁をはめ、鉄のハンドルを利用したテコの応用により、粗い目の回
転研石で全体を荒く研いでいきます。

  刃先の肉を落としていきながら角度を決め、木の台の上でゆがみを調整します。

  このあと、「平研ぎ」、「裏研ぎ」、「本研ぎ」、「刃引き」・・・と作業が続き、次第に包丁に刃がついていくと、新聞紙もこのようにスパッ
と切れてしまいます。
 
  最後に「柄つけ」の作業をしましたが、あまり金槌に慣れていないため、おもわず、包丁を押さえて下さっている藤井さんの指を誤っ
て打ちそうになりました(汗)。

  藤井さんは刃物のことを楽しく、分かりやすく丁寧に教えて下さいました。

  鉛筆ですらナイフで削った経験がない世代の私たちは、刃物づくりから様々なこと − 刃物づくりの楽しさや刃物の怖さ、伝統産業
のすばらしさなどを多く学びました。

 製作に要した時間はおよそ3時間でしたが、あっという間に楽しい時間は過ぎました。


刃物づくり ・ 初体験! (掘沙矢香 : 羽衣国際大学)

 今回、刃物作り体験をするまで全く刃物に興味がありませんでした。

初めて、藤井刃物製作所に行った時、目の前にある色々な機械が刃物を作るのに、どんな役割をするのか想像もつきませんでした。

  実際に体験した事で、それらの役割を知り、包丁が出来上がるまでの細かな作業に驚き、貴重な経験ができました。

  最初は機械の音が怖くて、刃を研ぐ作業を何回もしなければならないのかと思うと不安でしたが、ほんの少し研いただけで、元の色
とは違うつやが出て、出来上がりがどんな風になるのか楽しみになってきました。

  包丁の使う部位によって、研ぐ面を変えたり、角度を変えていく作業を繰り返し、段々と包丁らしくなってきました。

  こういった作業が進むにつれて、切れ味もでてくるので危険度も増してきますが、藤井さんの丁寧な説明があったので、安心して作
業に取り組めました。

 最初は不安で始めたものの、あっという間の時間が経ち、自分の
名前が彫ってあり、自分で選んだパーツの顔があり、自分で選んだ
柄があり満足のいくオリジナルの包丁ができあがりました。

 是非、多くの人に堺にこのような場所がある事を知ってもらい、そ
の中からほんの少しの人が興味をもって包丁作りを体験してもらえ
たらうれしいです。

  次は誰かのために、もう一度包丁を作りに行きたいです。

 結婚した夫婦がはじめてすることが結婚式でのケーキカット
で、これは喜びをみんなと分かち合うためのもの。

  包丁などの切れ物を贈るのは縁起が悪いと言うが、そうでは
ない。前向きに捉えると包丁は運を開くものである(藤井啓市さ
ん談)。
 
  ただ、縁起が悪いと気にされる方もおられるということで、藤
井さんはパッケージに「五円玉」を貼り付けておられます。

  相手を思う気持ち、これこそ、究極のホスピタリティと思いま
した。

 

 

 



 3時間にもおよぶ刃物づくりで少しお腹がすいたので、三たび、阪堺電車に乗って、堺の伝統ある「和菓子」を食べに行くことに。

 「高須神社」駅から、沿線地域の中心部ともいえる「大小路」駅まで再び南下して、銘菓「斗々屋」で有名な『丸市菓子舗』に向かうこ
とにしましたが、その途中、山之口商店街でとてもユニークな取り組みに出会いました。

  それは『大小路夢界隈倶楽部』という、 大小路界隈で事業を営む人々や企業が協力しあって、魅力と活力のあるまちづくりを推進し
ていくことを目的に設立された組織でした。
 商店街の空き店舗跡を利用して、まちづくりギャラリー&サロン「夢
庵」を自らの手で建設し、そこを拠点に様々な活動大小路・南蛮ガラク
タ市や電飾イルミネーションなど )を展開されています。

  「夢庵」は格安の料金で、サロンや会議などに自由に使うことができ、
特にギャラリー部分ではいつも異なった展示会が行なわれています。

  偶然にも、「大小路界隈夢倶楽部」の向井仁介 さん(堺粟新店主)に
いろいろと苦労話をうかがうことができましたが、私たちは会員のみなさ
んの意欲的な取り組みに圧倒されました。

( http://www.eonet.ne.jp/~yume-club/)

山之口商店街と 『 大小路界隈夢倶楽部 』 (杉本愛 : 羽衣国際大学)

 今まで堺の旧市街地をじっくり歩くという機会がなかったため、自転車や天王寺から旧市街地への導線となる阪堺電車を利用して、ま
ちを歩き、他の地域から来るビジターの立場から旧市街地を見つめ直しました。

  そして、堺市に住んでいる私にとって新たな発見がありました。

  特に私が興味を持ったことは、山之口商店街についてでした。

 調査地域の中心にある商店街ですが、今では南海本線堺駅や南海高野線堺東駅へ人の流れてしまい、商店街を利用する人が少なく
なってしまいました。

  そこで、そのような状況をなんとか回避しようと、商店街の人たちが中心となって『大小路界隈夢倶楽部 』という組織をつくり、商店街の
空き店舗をギャラリーとサロンに改装し、それをいろんな人に貸し出したり、堺にまつわる展示をしたりと・・・もっと堺市や山之口商店街を
知ってもらおうという取り組みがおこなわれているということを知りました。

  私の家の近くにも商店街がありますが、近くに大きなショッピングセンターができ、みんなの流れがそちらの方へ向いてしまうため、昔
に比べるとシャッターが閉まっているお店のほうが多くなり、暗いという印象を受けるようになりました。

  このように、山之口商店街での取り組みが成功し、他の商店街の再生のきっかけになることができればいいと思います。

  そのためには、山之口商店街の人たちの力だけではなく、近隣の人々、そして堺市に住んでいる人々が協力し、その他の地域の人へ
宣伝していくことが大切だと思います。









 

 『大小路界隈夢倶楽部』を出て、少し南に歩いた十字路を海側(西方)に行くと、第2の目的地である『丸市菓子舗』があります。

 千利休が愛した天下の名碗「斗々屋茶碗」にちなんだ「斗々屋」(1個 1,680円)が有名。

  直径15センチもある茶色の焼き皮のなかには、 丹波大納言を3日かけてつくる粒餡と 北海道産「てぼ豆」の白餡に薫り高いゆずを加
えた柚子餡が入っている大迫力の和菓子です。

 店舗には、まるで宝のよな数々の和菓子がありましたが、私たちはその「 斗々屋 」と「包丁ぼうろ」をおやつとして買うことにしました。


所在地:堺市市之町東 1丁2-26   TEL : 0722-33-0101  
営 業:9〜19時〔日曜:9〜18時〕   定休日:無休(ただし1月1日のみ休)


 『丸市菓子舗』でおやつを買った後、山之口商店街の東側に位置する開口(あぐち)神社に立ち寄ることにしました。

 開口神社は、天平 18年に行基が境内に念仏寺を建立、大同元年に 空海(弘法大師)が宝塔を建てたことで「大寺」とも呼ばれていま
す。
 
  戦争によって焼失してしまいましたが、かつては立派な本殿や三重塔があったと言われています。

  また、 「大寺縁起絵巻」、「伏見天皇宸翰御歌集」、「短刀銘吉光」は国の重要文化財に指定されています。
 
  (http://www.d1.dion.ne.jp/~ishekat/)
 
 この静かな開口神社で私たちは大胆にも(!)、さきほど購入した「斗々屋」と「包丁ぼうろ」を食べる(まるかじりする)ことにしました。

  歴史ある神社で、伝統ある和菓子を食べるなんて、なんて贅沢だと思いませんか。

  ちなみに、この「包丁ぼうろ」は藤井啓市さんがメンバーでもある堺刃物の職人集団「屯天漢(トンテンカン)」と丸市菓子舗さんとのコ
 ラボレーションから生まれたもので、 本物の包丁を入れる箱に収められていて、なんともユニーク。 もちろん、味も◎でした。
 
 

 

 また、先ほどの『大小路界隈夢倶楽部』のみなさんが、開口神社の山之口側参道入口で明治時代から眠っていた『金龍井』の復元を
行ない、平成 16年10月に完成。

  この金龍井戸は室町時代初期に掘られた井戸で、龍の化身が干ばつの時に民衆を救うために海会寺の僧に井戸を掘る場所を教え
たと言われ、「金龍井」と名付けられました。

 大都会で井戸水を汲めるなんて思ってもみなかったので、おもわず、童心に戻ってはしゃいでしまいました。

  さらに山之口商店街には、若者向けのカフェが新たに出店しており、これからの商店街の動向には目が離せない!と思いました。

堺の和菓子 − その歴史 (赤松佳奈 : 大阪女子大学)

 鎌倉時代から室町時代にかけて、禅宗文化の影響により僧栄西が宋国から持ち帰った喫茶の習慣が伝来した。

  その茶道に使用する菓子を「点心」、あるいは「茶の子」「茶菓子」と言い、現代のおやつにあたる。
  主にようかん、まんじゅう類が多かった。

 茶の湯の発達と共に、お茶の道にふさわしい美的なものを理想として求められた点心は公家や武家など一部の階級の者にとっての
嗜好品であり、庶民階級には無縁であった。

  また当時は砂糖が大変貴重だったので甘葛や飴を使用していた。砂糖が多く輸入されるようになったのは、堺が貿易港として発達し
た頃である。

  カステラや金平糖など砂糖を使った南蛮菓子の渡来によって、日本の菓子も現在私たちが和菓子と呼ぶ甘味を重視したものへ発展
していった。

 この画期的な砂糖の輸入にあたったのが、堺の商人達であった。
 
 山之口商店街を抜け、宿院通り( フェニックス通り )を渡り、さらに歩いて南下します。

 宿院通りは日本の道 100選にも選ばれ、現在の堺市旧市街地を東西に貫くメインストリート。

  この周辺には、宿院頓宮や妙法寺といった寺院があり、とても親しみやすく入りやすいので、時間に余裕があれば、これらの寺院に
足を運んでみてはいかがでしょうか。

  落ち着いた雰囲気にこころが癒されます。

 

 

 さて、もう時計の針も5時を過ぎて、私たちの旅はいよいよフィナーレに近づいてきました。

 旅の終わりには「おみやげ」! ということで、近くの『曽呂利』でおみやげを買うことにしました。

  『曽呂利』は地元の「文菓」にこだわり、その名は豊臣秀吉に仕えたお伽衆・曽呂利新左衛門からとったもの。

  新左衛門がとんちに長けた人物だっだったとのことで、包装紙には秀吉とのやりとりが印刷されていて、とても勉強になります。
 
 私たちは「大鏡」という、スポンジのような焼き皮にあっさりした白餡がたっ
ぷり詰まった和菓子をおみやげとして買いました。


所在地:堺市中之町東4 -1-26

TEL:072-238-6504

営 業:8時30分〜19時

定休日:年中無休

 

和菓子は立派な観光資源 (福地由江 : 羽衣国際大学)


  ある日、阪堺電車に乗って堺の旧市街地に向かっていると、隣にはなにやら新聞の切り抜きを見て相談しあう女性4人グループが…。

  ついつい気になって新聞の切り抜きを覗きみてみると、そこには自慢のおいしそうな和菓子の写真がいっぱい!

  私たちは嬉しくなって思わず、その女性の方々に質問してみました。
    
  「これから和菓子屋さんを回られるのですか?」

  「今回が初めてなのです。何かおススメのお店はありませんか?」

 好奇心旺盛な女性たちの会話の始まりでした。

 お店に行くと、お菓子を買いに行った私たちに珍しい金柑のお土産を持たせたくれた気さくな曽呂利のおじさん、とっても大きなお饅頭
にびっくりしながら食べた丸一菓子舗さんの斗々屋。

  堺の和菓子には、お菓子の甘さだけではなく、人と人とのとてもすてきな交流が用意されています。

阪堺電車沿線地域を歩いて (赤松佳奈 ・ 西岡晃子 : 大阪女子大学)

  
  堺は大阪市へ向かう途中の通過点です。南海電車の車窓から眺める堺は、戦前戦後の工業化によってマンションや工場が並んで
います。

  しかし、阪堺電車に揺られながら感じる堺は、のどかで、時間の流れも忘れさせてくれました。

  大通りから小路へ散策すると、その感慨は一層深さを増します。昔ながらのレトロなたたずまい、和菓子屋で働いている人達、ゆかり
ある神社や寺。

  それらはしっかりと、堺の町で息づいて、伝統を受け継いでいるという奥深さがありました。

  しかし、工業化によって名所は散在し、その魅力に気付きにくくなっているのが現実です。

  堺は中世の貿易の中心地、自由都市。権力に滅ぼされても復興し、文化を育んできたという歴史を知り、堺の人には勿論、堺住民以
外の人にも、堺のたくましさと奥深さをもっと知ってもらいたいと思いました。

 


 とうとう夕暮れ時になりました。『曽呂利』を後にした私たちは阪堺電車で天王寺へ戻るため、最寄りの「寺地町」駅に向かいました。

  阪堺電車の軌道がはしる大道筋は「紀州街道」であり、その街道は、中世後期に海運や漁業が発展し、港に沿ってできた新しい集
落を結ぶ幹線道路の役割を演じてきました。

  大阪市を起点に、堺・泉州地域を横断し、和歌山市に至り、その長さはおよそ48.8km.になります。


 
 これで私たちの旅「半日で 堺 半かじり」は終わります。

  天王寺へ戻る阪堺電車のなかで、私たちは今日の半日を思い出しました。

  たくさんの種類の刃物、刃物づくりの醍醐味、山之口商店街のみなさんの熱い想い、和菓子の甘さ、そして・・・

 またこのまちに遊びに来てみたい − 私たちはそう思いながら、帰路につきました。


■ 提言

1.阪堺電車の利用促進を視野にいれ、大阪市とのネットワークをつくる

→阪堺電車の利用を促進するには、大阪市 − 特に難波や天王寺にいる人々
(ビジターを含む)に阪堺電車に乗って、堺市旧市街地へ来てもらうこと
が前提となる。私たちは、堺市が「中心都市」である大阪市の「郊外」で
あることを認識し、大阪市とのネットワークを構築するが不可欠となる。
そのためには、大阪市をはじめとする他地域でのPR活動が必要となり、
行政区を越えた取り組みを行なわなければならない。
 

2.刃物と和菓子に注目し、そこから歴史・文化を発信する

→「刃物」は伝統産業であり、その製作には新しい観光のトレンド(体験型
+時間消費型)が兼ね備えられており、立派な観光資源(産業観光)であ
る。他方、「和菓子」は堺の歴史や文化との関係が深い「文菓」であるもの
が多く、和菓子を味わいながら歴史や文化に触れたり、学んだりすること
ができる。食べながら楽しく学べることは歴史や文化に関心が薄い者にと
って良い機会となる。このように、「刃物」や「和菓子」を観光資源として
捉えることは重要であるが、同時に堺の歴史や文化を知る上で有効なツー
ルとなると位置づけることも必要である。
 

3.歩き方を1つの「旅行」と捉え、主人公を意識したモデルコースにする

 
  →私たちは「大学生の 大学生による 大学生のため」のモデルコースを、阪堺電車沿線地域に対して提案したが、今日の
消費者のニーズは多種多様であり、その結果としての消費者行動はさらに複雑になりつつある。

  私たちのように、刃物製作と和菓子に興味を魅かれた者もいれば、神社仏閣をはじめとする歴史・文化に満足する人もいる。
 
  また、阪堺電車を乗ることに関心がある者もいるかもしれない。

  1つのモデルコースで全員が満足することは今日において稀であるから、様々な主人公を意識し、それに適合したモデルコ
ースが必要である。

  そこで、様々な人たちが自分たちの「歩き方」を自由に提案できる仕組み(たとえば、歩き方コンテスト)をつくりあげることが
必要である。

  そして、様々な「歩き方」が当該地域の活性化に寄与すると考えられる。

 

■ モデルコース〔マップ〕

( 番号は歩く順番を示しています )

 

■メンバー

指導教授
   小川 雅司  羽衣国際大学産業社会学部専任講師  〔都市・交通経済学〕
 
参加学生
   西岡 晃子 大阪女子大学 人文社会学部人文学科日本語日本文学専攻3回生
   赤松 佳奈 大阪女子大学 人文社会学部人文学科日本語日本文学専攻3回生
   中尾 嶺 羽衣国際大学産業社会学部(経営マーケティングコース)3回生
   杉本 愛 羽衣国際大学産業社会学部(観光レジャーコース)3回生
   福地 由江 羽衣国際大学産業社会学部(観光レジャーコース)3回生
   堀 沙矢香 羽衣国際大学産業社会学部(観光レジャーコース)2回生    
   清水苗穂子 羽衣国際大学産業社会学部非常勤講師〔エコリーリズム論〕 (大阪市立大学大学院文学研究科博士後期課程)
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