はじめに

(1)「高石ベイリアの歩き方」の企画目的

  高石市は、北と東は堺市に、また南は泉大津市と和泉市に隣接し、西は大阪湾に面しています。

  地形はほぼ平坦で、市域は11.35ku、人口は約62,000人ほどの比較的小さな都市です。交通は、南海本線とその支線の高師浜線、
そしてJR阪和線の鉄道路線があり、道路は阪神高速(湾岸線)のほか、新旧の国道26線と湾岸線が走り、大阪都心部からのアプロ
ーチに恵まれています。
   
 近年は、日本経済の進展ともに湾岸部は堺泉北工業地帯の一部として重化学工業が立地し、また交通の利便性が良いことから、大
阪の近郊住宅地として発展しています。

  また、高石の歴史は古く、古事記・日本書紀にも「高脚・高志・高石」として登場し、その海岸の風景の美しさから、万葉集にも有名な
和歌が歌われています。
  
 高石市は、決して知名度の高い観光資源が多い町ではありませんが、私達はこのような古きロマンと近代的なモダンさを合わせ持つ
小都市「高石」を、中高年女性が『ローカル線で小さな旅』をするという旅のイメージを想定しました。
   
  高石市のベイエリア地区に点在するお洒落なスポットを巡り歩きながら、堺市へと拡がる浜寺公園へと歩を進め、かすかな潮の香り
と歴史のロマンに触れながら、小さいけれども、きっと心なごむすてきな一日の小旅行が実現するのではないか、決して大げさな旅行
でもない、これからの時代に必要な少しの充実した時間が持てる小さな旅の提案を試みた次第です。



調査の地域

主として南海本線以西の高石ベイエリア地区、および堺市地域にまたがる浜寺公園近辺

調査の方法

 
 観光、旅行を中心として、文化や歴史などもテーマにしながら、実際のまちを歩き、そのまちの中で生活をし、また仕事をしている人
の声を聞くなどの方法も取り入れながら、対象エリアのフィールドワークによって実地調査を行いました。
  
 調査に際しての基本的な考え方は、観光の対象として、あるいは文化的な意味を持つ資源を調査するという学術的な調査をあえて
行わず、『ローカル線で小さな旅』をするという旅のイメージを想定し、これからの時代に求められる小旅行を企画するための調査と
いうことにコンセプトを絞りました。
   
 具体的には、もし大都会から訪問された中高年の女性が好むイメージとスポットはどのようなものなのかを常に強く意識し、この地
域の日常生活の中にも、ビジターが魅力と感じかもしれない素材を 発掘する視点も考慮した調査に重点を置きました。
    
 これは、一つの旅の提案ではありますが、今後さまざまな観光政策を行っていく上で、参考になれば幸いです。

3.調査日程

@10/25
第1回「企画会議」
(調査チームのキックオフ、調査全体のイメージとプランニングについて打ち合わせ )

A11/8
第2回「企画会議」
(調査する対象となる地域、調査方法、スケジュールなど査内容の具体的打ち合わせ)

B11/15
「予備調査」
(調査対象予定から外れている地域の観光資源の有無についての予備的調査)

C11/22
第1回「現地調査」
(今回の調査対象予定地域の概要を調査、予定したスポットの確認)

D11/29
第2回「現地調査」
(前回の調査の残り地域を引き続き調査、予定したスポットの確認、ルーティングの調査等)

E12/6
第3回「企画会議」
(前2回の現地調査結果の総括と、今後の調査活動の打ち合わせ)

F12/13
高石商工会議所へのヒアリングの実施
(地場産業・伝統産業の確認、高石漁港の現状等、産業観光の可能性について ヒアリング)

G12/20
第4回「企画会議」
(高石商工会議所へのヒアリング結果の分析と今後の対応について打ち合わせ)

H1/28
第5回「企画会議」
(調査のコンセプトの再確認、モデルルートの設定、
取り上げるべき観光資源の細部の検討、中間発表会での発表内容などの打ち合わせ)

I2/5
第3回「現地調査・写真撮影」
(予定した素材、スポットの確認とプレゼンテーション用の写真撮影・
取材スポットの経営者や関係者への聞き取り、ヒアリング、 インタビューなど)

J2/9
第6回「企画会議」
(プレゼンテーション用の写真の編集、パワーポイント原稿のラフ作成)

K2/15
第7回「企画会議」
(プレゼンテーション用の写真の編集、パワーポイント原稿の作成)

L2/16
第4回「現地調査・写真撮影」
(追加素材と残りのスポットの取材と写真撮影)

M2/17
第8回「企画会議」
(プレゼンテーション用の写真の編集、パワーポイント原稿の仕上げ)

N2/23
第9回「企画会議」
(プレゼンテーション用のパワーポイント原稿のチェック、ナレーション原稿の確認、及び総合リハーサル)

O2/24
南大阪の歩き方「中間発表会」
(なんばパークス・パークスタワー7階会議室において中間発表会)

P3/1
第 10回「企画会議」
(中間発表会の反省・総括と報告書の原稿作成について打ち合わせ)

Q3/8
第 11回「企画会議」
(報告書の原稿作成について打ち合わせ)


4.高石市の概要と市域の観光資源の現状評価

高石市の概要


  高石市は、堺市・和泉市・泉大津市の3都市と大阪湾に囲まれた人口約60,000人の都市です。

  地形はほぼ平坦で市域は 11.35kuと面積もそれほど大きくありません。交通では南海本線と阪堺線。それと今回取り上げたローカル
線である高師浜線が交通の要となっています。そのほかには阪神高速道路(湾岸線)や新旧国道 26号線があるために大阪府中心部
らのアプローチにはとても恵まれています。
 
  歴史的な面では、古事記・日本書紀にも登場し市内では旧石器時代の遺物も出土しています。有名な遺跡では大園・水源地遺跡な
どが発見されており過去にこの地域にたくさんの人が住んでいたことがうかがわれます。
 
  海岸の風景は和歌に詠まれたほどで枕詞としてもとりあげられたほどでした。そのおかげか古くは幕府の直轄地。近代においては鉄
道の整備によって交通の便がいいために風光明媚な別荘地として名を大きく広めました。しかし、最近になって大阪湾の埋め立てによ
って海岸の風景は損なわれ工場地帯となってきています。そのため、別荘地としても価値が落ち、観光地としても目立つことがなくなり
ました。
 
  結論から言えば、大阪住民以外は関西地区においても「高石市」の存在自体知らない人もいるほど、昔と比べその名前が知れ渡っ
ていないのが現状と思われます。このように、知名度の低い高石市ではありますが、果たして市域の中に観光対象となり得る資源が
存在しているのか、私たちはまず、高石市域に限定してまちを歩き、観光資源や観光資源となりえるスポットなどの調査を試みました。

高石市域の観光資源

 まず調査をはじめるにあたって、高石市役所を訪問し、高石市の観光資源の現状とそれらに対する宣伝・広報の実情などについて関
係者からのヒアリングを行いました。
 
  その結果、高石市の行政組織の中には観光客やビジターを誘致するための組織や機関はなく、また、宣伝・広報についても、泉北地
域の4市1町が加盟する「泉北地域広域行政推進協議会」が発行しているPR用のリーフレット『せんぼく歴史のみち:紀州街道・熊野街
道』において、高石市に関係する観光資源が紹介されていることが分かりました。
 
  そこで、私たち調査チームは、そのリーフレットなどで紹介されている観光資源について、これまでとは異なった目線と感覚で高石市
域を歩きながら、これらの資源を新たな紹介方法とコースプランニングで紹介が出来ないか、を探ることとしました。

  とりあえず、この章では私たちが高石市の既存の観光資源を調査した結果について、それぞれの印象や評価を率直に挙げ、次章に
おいてそれらに検討と分析を加えながら、新しい一つの旅づくりの提案へつなげていきたいと思います。

5.それぞれの観光資源の現状と評価


小高石橋

 高石市の西南端の泉大津市との市境に近い所にある全長数メートルの
コンクリート製の橋。王子川という小さな川にかかっている橋ではあるが、別段に橋として景観的にもめずらしい要素は何もなく、ごく普通の街角にある生活用の橋といった感じのものであります。
 
  旧街道の道筋でもあるため、リーフレットなどでは観光資源として扱わ
れていますが、もし遠来の観光客 、ビジターがリーフレットを見てこの場
所を訪問したならば、恐らくがっかりされるに違いないと思われます。

  つまり、観光資源としてはほとんど価値はないものという印象を持つもの
でした。

十一面観音立像

 大通りから入り組んだ小道に入ると、住宅地の中に、とある小さな御堂を
見つけることが出来ます。「十一面観音立像」であります。

 御堂の扉は常に閉まっており、観音像自体は見ることはできません。

  場所的にも地元の一部の人しか知らないようなわかりにくい場所で、ま
た細い小路にあるために観光資源として活用するためには、わかりやすく
道入路をつなげるか、案内標識を作らなければ、おそらく道に迷うだけで
発見することすら困難な資源です。
 
 地域に残る文化資源としては一応の価値のある存在かもしれませんが、
体外的に市の観光資源として取り上げるには無理があると思われます。

光月院

 南海本線の羽衣駅から近いという立地条件にありながら、大きな建物の
裏側にあるためにわかりにくくなっています。しかも、小さな祠といえる程度のものしかありません。

  祠が安置されている建物は何かの宗教の建物のようでその宗教に関係した祠のようです。わかりやすく看板などを立てるなどしたら観光資源としては成り立つかもしれないと考えられますが、あまりにも小さいために、今日の目の肥えた観光客からすれば、観光資源として位置付けるにはとても無理であるといわざるを得ません。
 
  散策の途中でふと見つけた祠という程度にしかならないでしょうか。

羽衣濱神社

 高石市の新しい幹線道路(予定)に面しており、規模的にもそれなりに大
きな神社です。建立に関しても古く、歴史のある神社です。
 
  周りが深い木々で囲まれたところに本堂があるので、とても神秘的な雰
囲気の漂う場所となっています。
 
  観光資源としては、場所もわかりやすい所にあり、見る・感じる楽しみが
あるとてもいい場所です。

大雄寺の石碑

 南海電車の高師浜線の途中駅である伽羅橋駅前にある大きな石碑が、大雄寺という立派な寺院があったということを示しています。
 
 石碑にまつわる歴史を読まなければ、その存在にも気づかないような資
源です。かなり大きな石碑なので、もっとビジターへの見せ方やアピールを分かりやすくしたらいい観光資源になると思われます。

 


高石神社

 国道26号沿いにある大規模な神社です。
 
 国道と南海高師浜駅の間にある非常に雰囲気のある神社であります。
 後述します今回のモデルルートには組み込んで紹介することはなかったですが、高師浜駅の近くを散策する折に立ち寄る価値があります。

  国道に沿っている関係で観光資源としては立地条件もよく、一見の価値
がある神社です。

不断寺・円徳寺・念通寺

 南海本線の高石駅からすぐ西側にあるこれら3つの寺は、ともに「街の中
のお寺」という感じが色濃く、わざわざ観光として見にくるまでの価値は無い
ように思われます。
 
  いずれも浄土真宗の寺で、歴史的も江戸中期〜末期あたりの建立です
が、現在では庶民の檀家のためのお寺としての存在だと推測されます。
 
  観光資源として県外からの観光目的の対象としては無理があり、今回
のモデルルートからも除外せざるを得ませんでした。

大師堂・貝殻地蔵

 現在の国道26号線の一筋東寄りに旧紀州街道が現在でも残っていま
す。国道に比べて道幅も狭く、地域住民の生活道路としての役割を果たし
ています。この旧街道に、先に紹介した光月院と似たような祠とお堂があ
ります。これが貝殻地蔵と呼ばれている大師堂です。

  ただし、旧街道らしい下町の庶民のたまり場といった雰囲気が感じられ
る小規模なお堂であり、これ自体は観光資源としてのパワーには乏しい
感がします。
 
  旧街道自体が整備されて、昔の面影を偲ぶことのできる街並みに変身
すれば、観光資源となり得る存在ではあります 。

専称寺

 今回の私たちが見て回った資源の中で最も観光価値のあるスポットがこ
の専称寺です。
 
 昔の綾井城跡に立てられたお寺で、付近には古い町並みと由緒ある民家が残っており、この界隈を歩くだけでも十分に観光としての要素を備え
ています。
 
  南海本線より東側に位置しているため、少しベイエリアからは距離があ
りますが、今回の歩き方のモデルルートに入れるべきスポットとして私たちは評価しました。
 
  詳しくは次章のモデルコースの中で改めて紹介します。

綾井の清水

 専称寺のすぐ近くの 井上家という旧家の裏側にある湧き水です。

  今は柵が設けられてあって中を見ることできません。しかも、今は水が
湧いているかどうかもわからないのが現状です。

  場所としては大通りからも遠目に見ることもでき、資源としてもロマン的
な価値のあるものだと思いますが、それほど目立たないのがもったいな
いと思います。

  しかし、もっとそのいわれと歴史を強調して宣伝すれば、いい観光資源
となりうる箇所だと思います。

紀州街道沿いの旧家(門長屋の家)

 旧紀州街道沿いにはいい雰囲気の旧家が立ち並んでいるスポットがあり
ます。

  この辺りは木造の旧家がたくさん残っており、リーフレットにも紹介され
ている門長屋の旧家はすばらしい木造家屋であります。
 
  映画のワンシーンにも使えそうな雰囲気を漂わせています。

  今も人が実際に住んでいます。その近くにも何軒かの古い木造家屋が集まっていて、街歩きという意味合いでは良い雰囲気の界隈であります。

観光資源の現状から見た観光情報発信のあり方

 以上、 リーフレットに紹介されている高石市の観光資源の現状を紹介しましたが、このリーフレットは「歴史のみち:紀州街道・熊野街
道」を紹介するという性格のものであることから、紹介されている資源は、いずれも神社仏閣や史跡などの歴史資源、文化資源が中心と
なっています。

  長い歴史と人々の生活の中で培われてきた 歴史資源、文化資源は、もちろん地域の貴重な財産として誇るべきものであり、またこれ
からも地域の光として永く保存されるべきものであります。
 
  しかしながら、一方では、その地域を訪問する観光客やビジターにとっては、歴史資源、文化資源をその地域の魅力と考えることが少
なくなってきていることも事実であります。つまり、最近では、これまでの物見遊山的な見る観光から、観光客やビジター自身が豊かな
時間と気持ちよい空間を体験できるか、に訪問への関心と動機が移ってきています。
 
  何かの非日常的な体験ができて、そこで何かが学べて、何かを感じる、そのような自立的な観光や旅のあり方が主流になってきてい
ます。もちろんこれに加えて、食べる(飲む)、買う(ショッピング)という日本人の旅には欠かせない要素も大事です。
 
  このようなことから、これまでのように歴史資源、文化資源だけを観光資源として紹介しているだけでは、もはや地域に観光客やビジタ
ーを誘うことは出来ません。
  つまり、その地域にある多様な魅力を幅広く情報発信していくことが求められるようになってきています。

  最近よく言われている観光の変化です。
 
  そこで私たちは、この新しい観光の変化を最重要ととらえ、今回の「高石ベイエリアの歩き方」調査研究の考え方のベースとすることと
しました。具体的には、この観光の変化を象徴しているいくつかの「トレンド」をあげ、そのトレンドを表現する「キーワード」を組み合わせ
た「ひとつの旅」の提案をすることにしました。


  高石ベイエリアでも実現するであると 私たちの考えた新しい観光のトレンドとキーワードとは、次の通りです。

  ・旅の主人公は、現在、旅行マーケットを支える「中高年女性」

  ・旅情を高める「ローカル線」の旅  

  ・宿泊を伴わない日帰りの「ちいさな旅」

  ・「中高年女性」が「ちいさな旅」に求める従来型の観光資源でない「魅力資源」の発掘

高石ベイエリアの歩き方

 『ローカル線で行く小さな旅』のモデルコースの概要  今回、高石ベイエリアを歩く主人公は、現在の 旅行マーケットを支え、時間とお
金にも恵まれた「中高年女性」で、まず、彼女らは今や貴重な存在となった「ローカル線」でこの地を訪れます。
 
  「中高年女性」が「ちいさな旅」に求める要素は、従来型の観光資源でなく、おしゃれな空間スポットを散策し、少し知的な満足感や感
動ではないでしょうか。
 
  高石エリアは交通にも恵まれているため、京阪神あたりから宿泊を必要としない日帰りの「ちいさな旅」が可能です。

  高石ベイエリアから浜寺へとつながる『ローカル線で行く小さな旅』を以下に紹介します。

モデルコース: 『ローカル線で行く小さな旅』

@南海本線の羽衣衣駅で乗り換え、ローカル線(支線)の高師浜線に乗り換え、A静かな住宅街の中の高師浜駅で降り立つ。

Bかすかな潮風の香りを感じながら、まず専称寺を参拝し、Cその後、専称寺周辺の歴史ある町並みを散策し、

D近くの綾井の清水のゆかりに思いをはせながら、E再び、高師浜駅近くへ戻り、レストラン「アラキ」、「備」でランチ

F海岸通り周辺のモダンな町並みを楽しむ、古いお屋敷や近代的な住宅が混在する  おしゃれな空間を歩き、

G喫茶&ギァラリー「海岸通り」で休憩

H住宅街を抜けると高石漁港、潮の香りと漁船の風情が旅の雰囲気を高めてくれる

I浜寺公園を南から北へと散策【浜寺水路→ロシア兵記念碑→松並木→バラ公園→大久保利通の歌碑「惜松碑」 →与謝野晶子歌碑】

Jショットバー「Jr France」でカクテルを数時間の散歩の渇きを癒し、K浜寺公園駅前の老舗:福栄堂で「松露だんご」のお土産を買う。

Lローカル線に乗る前に、由緒ある浜寺公園駅(南海本線)に立ち寄り、その芸術的な  美しさと建築の歴史を知り、

M小さな旅の余韻に抱かれながら、チンチン電車(阪堺線)で帰途に。

9.『ローカル線で行く小さな旅』の文化・観光資源の紹介

@高石のベイエリア地区へは、南海本線の羽衣駅から(支線である)高師
浜線に乗り換え、終着駅の高師浜線で下車します。

  途中には伽羅橋という小さな駅が一つだけの非常に短いローカル線の
旅。時間にして4〜5分で到着します。

  高師浜駅は非常に小さな駅です。

  しかし、その駅舎にはステンドグラスの窓が使われており、昔からのレト
 ロな面影が残るすてきな建物になっています。
 
  改札口を通り抜ける前に、ぜひとも見つけて欲しいものです。

  それだけでも、なにか少し遠くに来た旅情にひたれるような気がします。

 高師浜駅の前の広場には、「ロシア兵俘虜収容所跡」の案内パネルが建てられて
います。

  明治37年にはじまった日露戦争は翌年の日本海海戦のあとのポーツマス条約締
結により終わりました。この日露戦争のロシア兵俘虜を収容するために明治38年1
月に日本陸軍第四師団司令部により浜寺にロシア兵俘虜収容所が設置されました。
 
  高師浜の海岸の畑地を四区に分けて木造の宿舎と高い塀で囲んだ、この収容所
にはロシア兵28,000人が収容されましたが当時の高石村の人口は2,000人。
  10倍以上のロシア人が入ってきたので村人たちにとっては、大変な出来事だった
ようです。

  しかし、日曜日はロシア兵たちも外出が許可されていたので、海岸で村の子供たちと凧揚げをしたりボール遊びを共にしたりしての国際交流もあったと言う話が残っています。
 
  このロシア兵俘虜たちも明治39年(1906)2月までには全員が母国ロシアに送還されました。 のちに紹介する浜寺公園の日露友好条約記念石碑にみられるように、
この出来事は日本とロシアの結ぶすてきなエピソードとしてロシアでも語り継がれて
いるそうです。

 ( http://www.sakai.zaq.ne.jp/plaza_hoso/hamadera/konjak4-2%20.html 参照)

Bまず、私たちは高師浜駅から専称寺界隈の歴史の香りただよう街並
みの散策に向かいます。
 
 綾井城は南北朝時代、北朝方の田代顕綱の居城でした。

 当時、綾井城は和泉北部における、重要な戦略拠点であったと伝えられ
ています。その後、織田信長家臣、沼間日向守が城主となり、兵乱が治ま
った天文13年(1544)に玄誉永徹上人が沼間日向守の城跡にちなんで
建立したのが、浄土真宗の「専称寺」です。

  お寺の 山門前 には今も堀が残っており、本堂の一部が少し高くなって
いるなど、昔、この場所にお城があったことを思い浮かばせます。

( http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/ayai.htm 参照)

( http://www.takekawa.net/castle/html/shiro/kinki/osaka/ayai.html 参照)

C専称寺のすぐそばには、古くて、威厳のある大きな家屋が建ち並んでいます。

  昔の綾井城の城下町をしのばせるにふさわしい立派なお宅ばかりです。

  その町並みの中には国の重要文化財に指定されているお屋敷(井上家)もあります。

Dこの井上家の裏側には、綾井の清水と呼ばれる井戸があり、今から30年ほど前まで実際に清水が湧きでていたそうです。

  現在は用水路の脇の目立たない場所となっていますが、泉州のこの地に泉が湧いていたということは、周辺の古い武家屋敷の町並 みに中にあっては、何か大きな歴史のロマンを感じることが出来ます。


E専称寺やその周辺の古い歴史的な町並みを探索した後、再び高師浜駅 近くの住宅街に戻ります。

  日帰りの小旅行ではちょうどお昼に差し掛かる時間帯になると思います。
  付近のモダンな町並みの雰囲気の中では、旅人としては洋食が似合い そうです。
 
  そこで、レストラン『アラキ』を紹介します。

  高師浜駅前の通りを東へ国道 204号線(旧26号線)高石交差点に向かってほんの数十メートル歩いたところにあります。
  昭和40年代の初めに洋食屋さんとしてスタートされたお店で、洋食系の豊富なメニューがそろっています。中でも自家製ハンバーグがオススメで、遠く千葉県から食べに来る根強いファンがいるそうです。
  最近は本格的な洋食屋さんが少なくなりましたが、高級住宅街の一角にこのような昔ながらの洋食屋さんが残っているのは、うれしい限りです。

  (*営業時間は10:00〜20:00、定休日⇒水曜日)

 ランチタイムの営業をしていないのが残念ですが、もし高石ベイエリアの散策が夕刻になった時に是非オススメしたいのが、ステーキハウス『備』(ビン、という名前です)です。

  「アラキ」と同じく、高師浜駅前の通りにあり、昼間は精肉店を営んでおられます。
 
  営業は夕方5時からではありますが、精肉店の直営のためにいつでも新鮮なお肉をいただける店です。

  数々の雑誌にも紹介されていて、ステーキ、焼肉のどちらでもいただける貴重なレストランだと思います。

  もちろんオススメはサーロインステーキ。

  (*営業時間は17:00〜23:00、定休日⇒水曜日)

F高師浜駅の周辺、特に海岸通りと呼ばれている南北につながる通りには
古い屋敷が数多く残り、また最近はお屋敷が近代的な住宅に建て替えられ
ていたり、とても高級感のある住宅地として独特の景観を示しています。

  「海岸通り」という名前は、昔この付近が海岸線近くにあり、海水浴場と住
宅地が栄えていたため、このような名称が今でも残っています。

  古いお屋敷は庭の手入れが行き届いています。あたらしく建てられたモ
ダンな住宅は、どこも個性的なデザインを誇っていて、個性的な町並みを
演出しています。

  住民の方にご迷惑にならないように、静かに品良く散策しましょう。

Gすてきな住宅街の散策の途中で、特に「中高年女性」が一息入れたいのが「喫茶店&ギャラリー『海岸通り』」です。通称「海岸通り」
にある、その名も『海岸通り』なのです。
 
  周辺の高級住宅の中で、平屋建てのおしゃれな建物は誰にでも目に留まります。前庭があるために通りから少し奥まったデザインが
より一層すてきな雰囲気を漂わせています。

  店内に入ると、まずギャラリーがあり、オシャレな陶器や食器、雑貨などが並んでいます。店の奥がカウンターだけの喫茶店となって
おり、ドリップコーヒー (\350)やケーキ(各種あり)が楽しめます。このお店(実は住宅)のムードにふさわしい奥様との会話も楽しめて、小さな旅の思い出が深まることでしょう。事前予約をすれば、店を貸し切りにしてレストランウェディングもできるようです。

  また店内の貸しギャラリーでは地元の奥様方の趣味や、時にはプロの方がさまざまな展示もされています。

  営業時間が11時から16時までと短く、また定休日が木曜日と金曜日ですから、事前にチェックが必要です。

 


H高師浜の散策を終えて、潮風に向かって西に行くと、高石漁港に出ます。

  漁港の沖合いに埋め立ての工業地帯が広がっている風景は幻滅ですが、これも日本経済の成長を支えたものと思えば仕方ないこ
とかもしれません。

  でも、港に漁船が何十隻も停留している景色は、訪れた旅情を高めてくれることには違いありません。

  うれしいことに、ここには50 m足らずではありますが、昔の海水浴場のなごりである天然の砂浜が残っています。

  毎月第1日曜 (1月 ,2月,7月,8月を除く)に、この漁港で水揚げされた大阪湾の新鮮な魚介類を購入できる 『とれとれ市』が開催され
ているとのことです。

 

浜寺公園スポット


I高石漁港を後にして水路沿いに北に進むと「浜寺公園」の中に入っていきます。

  浜寺公園は明治6年、大阪府下で初めて公園に指定されたところです。
 
  当時は、白砂青松の浜辺として多くの人に知られていました。

  今でも、その面影を残す松の緑あふれる憩いの場として近隣の住民はもちろん、遠方からも多くの人々の人気を集めています。

  明治20年代までは交通の便が悪く、観光客も少ない「忘れられた景勝地」でしたが、明治30年に大阪と和歌山をつなぐ、南海鉄
道(現南海電鉄)が開通し、公園の入り口に浜寺公園駅ができました。

  また明治末期には南海鉄道によって海水浴場を中心に大衆向けレジャー施設も設備され、現在に至っています。

  広大な浜寺公園は、南半分が高石市、北半分が堺市にまたがっています。

  公園の中には、子供たち向けの交通公園をはじめ、ユースホステルやグランドなどの青少年向けの施設のほか、バラ庭園なども
整っていて、総合的な公園として充実しています。

  今回は、中高年女性の旅にふさわしい公園内のいくつかのスポットの訪ねることにしました。

浜寺水路

  昭和30年代後半に造成された泉北臨海工業地帯と内陸部を区分し、暖衝地として設けられたのが幅200m、長さ約3 kmの浜寺水路です。

  浜寺水路には海鳥が訪れ、また高石漁港が静かに佇まい、わずかなが
ら埋立て以前の面影を残しています。

  この水路では、漁港横の高石マリーナからモーターボートがさわやかな
風を浴びて疾走し、対岸の漕艇センターでは学生、社会人などによる漕艇
競技大会が開催されるなど海や水辺のレジャー、スポーツの場として、親
しまれています。

  また、水路沿いには浜寺公園を中心に遊歩道、遊園、庭園、ユースホス
テル、野球場、野外活動センターなどの文化、スポーツ、リクレーション施
設が設備され、自然と水辺環境が調和した憩いの場として多くの人々に利
用されています。

ロシア兵記念碑

  浜寺公園の南の高石方向から入ったところに大阪国際ユースホステル
があり、その玄関前の芝生に黒い御影石で作られた真新しい記念碑が建
っています。

  碑には、「日露友好の像内閣総理大臣 小泉純一郎 書」、また「ロシア
の勇猛果敢なる子が永遠に人々の記憶にとどまらんことを! ロシア連邦
大統領 V・Vプーチン」という文字が日本語とロシア語で書かれています。

  碑の裏を詳しく読むと、ロシア人たちがいかに友好的に扱われたか、ま
た地域住民との交流や、異文化交流が盛んだったかが記されています。

  (その影響からか、今でも浜寺公園近辺には教会が多い。 )

羽衣の松(並木)

 名松100選」に選ばれた、浜寺公園内にある松林は、現在「羽衣の松」と
して人々を魅了しています。

  「羽衣の松」の名前の由来は、わずかに残った松に、日露戦争の捕虜が
衣服を掛けたことからきています。
  

バラ庭園

 日本に自生する野生のバラ、現在のバラなど130種7000株が観
賞できます。


  開園期間3月1日 から 11月30日 までです。
  
    *開園時間  10:00〜17:00(入園は16:00まで)
   *入園料   無料
   *休園日   火曜日(祝日の場合は翌日)

大久保利通の惜松碑

 「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあざ波は のがれざりけり」

 1873年に大久保利通が詠んだ短歌の歌碑があります。

  松林は当時、危機にひんしていたことから、明治維新で困窮した士族を
救う資金を作るため、堺県が土地を払い下げ、松が伐採されていた。

  大久保はたまたま浜寺を訪れ、その様子に「何をしているのか」と驚いて
、名松を惜しむ思いを歌にしたものです。

  そのことを知った県はただちに伐採をやめさせ、公園としての整備に乗り
出したのです。

  浜寺公園の広大な松林を散策しながら、現在まで何千本という松の維持や管理に努力されている方々に敬意を表したいと思います。

与謝野晶子 歌碑

 「ふるさとの 和泉の山をきはやかに 浮けし海より 朝風ぞふく」

 
  『歌集みだれ髪』で有名な与謝野晶子が詠んだ短歌の歌碑が浜寺公園の北寄りにあります。
 
 堺出身の彼女が、故郷を懐かしんで詠んだ光景は現在では様変わりし
ていて、なかなかそのような風情のある景色が見られないが残念です。

  浜寺公園は、皮肉にも日本が経済発展を優先したきたことが本当に良
かったのか、日本らしい原風景は再び戻ることはないのか、矛盾する思
いを大いに感じさせる場所でもあります。

J浜寺公園の散策を終えると、中高年女性のローカル線で行く小さな旅も
終わりに近づいてきました。

  夕暮れも近づいてきた瀟洒な住宅街を浜寺公園駅に向かって歩いていく
と、普通の住宅と思われる玄関に、「Jr.FRANCE」というサインを見つけ
ました。

  時々雑誌で紹介されているお洒落な「ショットバー」です。

  普通のお宅を改良したバーで、一見分かりにくい隠れ家的なお店ですが
、なんとなく中高年女性には気にかかるスポットです。

  通りがかりに、ふと見つけるような小さなバーではありますが、常連にで
もなれば駅からもわりと近いので行きやすいお店でしょう。

  60歳中ごろの素敵なマスターとの会話を楽しみながら、オリジナルのカ
クテルなどをいただくと、小さな旅のエンディングとしては最高の演出となる
でしょう。

 

  営業時間は、17:00〜25:00、定休日は火曜日 (祝日は営業)です。

 K和菓子店『福栄堂』は、浜寺公園駅前にあり、中高年女性の旅のお土
産選びにはぴったりのお店です。。
 中でも有名なのは名物「松露だんご」です。

 明治40年創業以来、変わらない作り方と味を保っています。

  ショウロ (松露)とは、マツ林の地中に発生する卵形のきのこです。

 皮は最初は白く、しだいに褐色になり、触ると赤く変色するそうです。
 
  肉がまだ白いものは米松露、淡黄褐色に変色したものは麦松露と呼ばれています。

  それ以上成熟しして中が変色したものは食べず、また成熟すると一部が
地表に現れることもあるとのことです。

L帰途につく前に是非とも見ておきたいのが南海本線の「浜寺公園駅」で
す。

  この駅の駅舎は、1907年(明治40年)に建てられたもので、辰野金吾
氏という、後に東京駅舎、諏訪ノ森駅舎、日本銀行本店を建てた有名建築
家によって設計されました。

  鹿鳴館を偲ばせる名建築物です。

  この駅舎の建築様式は木造・平屋建てのハーフティンバー様式と呼ば
れていて、現在は文化財保護法による登録有形文化財に指定されています。

  なぜなら、設計者もさることながら、明治時代に建てられたにもかかわ

らず、現在も「南海浜寺公園駅」として利用されている駅舎でもあるからで
す。

  また、浜寺公園駅舎があまりにも美しいがために、しばしば多くの画家の
モデルとして使われています。

  明治時代に建てられた登録有形文化財に関しては、すぐそばの南海線
『諏訪ノ森駅舎』や『旧室蘭駅舎』(北海道)、比叡山鉄道ケーブル『坂本駅
舎』『延暦寺駅舎』(滋賀県)、『萩駅』(山口県)『明治村東京駅警備巡査派
出所』(愛知県)などがあります。

  この「浜寺公園駅」は、浜寺公園に遊びに来る親子連れや観光客が利用
した駅舎でもあります。

  立地条件として浜寺公園のすぐそばにあり、難波から南海本線ですぐに
行けることから大阪の人々にはよく利用されていたようです。

  現在は浜寺公園の砂浜がなくなってしまったので、昔ほど利用客はいま
せんが、この美しい駅舎内のギャラリーは市民の方々に貸し出されとても
雰囲気のある小ギャラリーとして利用されています。



M いよいよ中高年女性による高石ベイエリアの小さな旅が終わろうとしています。

  旅の締めくくりは、「ローカル線で行く旅」らしく、やはり「チンチン電車」で
帰らねば意味がありません。

  この 阪堺線 の「 浜寺公園前駅 」は 明治43年3月に設立された旧阪堺
電気軌道株式会社が阪堺線のおこりです。

  同社は片岡直輝氏らが発起人となって、大阪市〜浜寺村間および堺市
宿院〜大浜間の2路線に電気鉄道を建設する目的で設立されました。

  明治44年12月に恵美須町〜大小路間、同45年3月に大小路〜少林寺
橋(現・御陵前)間、そして同年4月に少林寺橋〜浜寺(現・浜寺駅前)間が
開通し、阪堺線の路線が完成しました。

 こうして路線の完成をみた旧阪堺電気軌道は、競合する南海鉄道とはげ
しい旅客誘致競争をおこないましたが、やがて大正4年6月、両社は合併、
南海鉄道の阪堺線となりました。

  駅は大通り(旧26号線)に面した所にあります。『チンチン電車』と呼ばれ
ている阪堺電車は値段も安く、利用しやすいということで市民に親しまれて
いますが、経営縮小のために廃線となるかもしれないという危機に直面して
います。しかし、やはり便利な「市民の足」である『チンチン電車』の廃線に
反対する意見が多く、この問題に関しては廃止議論も今は静まっている状
況です。

Y.まとめ(提言に換えて)

 
  私たち羽衣国際大学の調査チームは、大学が高石市にほど近いところにありながら、地元である高石の観光資源についてはほと
んどその内容を理解していなかったのが事実です。

  観光の研究といえば、日本の有名な観光地や温泉であったり、都市観光の拠点である東京の再開発であったり、海外旅行であっ
たりと、あまり足元を見つめなおすことはありませんでした。

  今回、高石ベイエリア地区を調査する機会を得て、まずはリーフレットで紹介されている既存の観光資源の現状を調べました。
 
 そこで抱いた私たちの印象は、人々に地域をアピールする時には、どうしても歴史文化資源の紹介に偏っていることに気づきました。

  これまでの観光の姿としては、このような歴史・文化資源を誇らしく見せるだけでビジターの支持を得られることができましたが、現在
の観光には大きな変化がおこっていて、すでにビジターはこれらの観光資源には決して満足せず、新しい観光の形を求めています。

  報告の中で再々にわたって述べてきましたように、 私たちは、この新しい観光の変化を最重要ととらえ、今回の「高石ベイエリアの歩
き方」調査研究では、ひとつのテーマをベースとした旅づくりを提案しました。

  具体的には、この観光の変化を象徴しているいくつかの「トレンド」をあげ、そのトレンドを表現する「キーワード」を組み合わせた「旅」
の提案です。

  つまり、 旅の主人公を「中高年女性」とし、彼女らに「ローカル線」の旅を提供し、日帰りの「ちいさな旅」を楽しんでもらおうという、い
わば旅ドラマ風の企画です。食べることと買うことという女性の旅には欠かせない要素も取り入れながら、観光資源でない「魅力資源」
を発掘することに努力したつもりです。

  行政も地域住民も高石という地域に誇りを感じ、既存の資源にとらわれることなく、その隠された観光魅力をビジターに訴えながら、
これを機会に一人でも多くの人々が「高石ベイエリア」を歩く「おしゃれで小さな旅」を楽しまれるよう関係者の努力が続けられることを
望みます。

羽衣国際大学 調査チーム

【指導教員】   @岡本 義温(観光レジャーコース 教授)  ※主査
 A小川 雅司(観光レジャーコース 専任講師)  ※副査
【 学生チーム】   @福地 由江(観光レジャーコース 3年) ※学生チームチーフ、調査・原稿・プレゼン発表担当
 A弥益  彩(観光レジャーコース 2年) ※調査・原稿・プレゼン発表担当
 B田中 慎哉(観光レジャーコース 2年) ※調査・原稿・写真撮影/編集・プレゼン用機器担当
 C山中 香依(経営マーケティングコース 2年) ※調査・原稿・プレゼン発表担当
最終ページに「歩き方マップ」を挿入